こんにちは。関西在住のアラフィフ主婦omochiです。
1月の晴れた日、長野県南木曽にある「妻籠宿」に行ってきました。

昔から歴史ある建物や町並みが好きで、江戸時代の面影が残る妻籠宿は以前から一度行ってみたかった場所の一つでした。本当に素晴らしく心に残りました。
妻籠宿は、江戸時代に整備された中山道の宿場町の一つで、中山道69次のうち江戸から数えて42番目の宿場町になります。
中山道とは、江戸の日本橋から京の三条大橋を結ぶ内陸経由の街道だそうです。
そう言えばomochiの住んでいる所の近くにも中山道が通っていて、宿場町も残されていました。普段は気にもとめなかったけど、意外と身近なところに残っているものです。
アクセス(omochiの場合)
車で片道3時間半かけて行きました。遠かったです。
まずは(名神高速)→小牧JCT→(中央自動車道)→中津川I.C.→(19号線)→(256号線)→妻籠宿
(電車やバスで行く方法もありますが、時刻を調べたりするのが面倒くさいので、どこに行くのも車が好きです。)
途中養老SAで休憩。



小腹が空いたので、銘菓の安永餅を頂きました。お餅が柔らかく中にあんこが入っていて、美味しかったです。

妻籠宿中央駐車場に着きました。普通車¥500でした。
冬だからか空いています。

妻籠宿に行く手前に橋があって、「通行人は右の橋を通るべし」と立て札に書いてありました。

宿場の案内もありました。



江戸時代に建てられた木造の家屋が立ち並び、とてもいい雰囲気です。昔にタイムスリップしたみたいな感じになりました。
華美な派手さはありませんが、静謐な落ち着いた気品を感じる町並みです。
車や電車が出来て、宿場町としての機能を失ってからも、古い町並みを残そうと努力された地域の方々に本当に感謝、感謝です。
家屋は宿場町らしく旅館になっている所や、お土産屋さん、食事処になっているところもありました。
旅館。


中はどんな感じなんだろう?一度泊まってみたいです。
屋根に石みたいなものが乗っているのは、石置屋根と言うそうで、江戸時代の初期のものだそうです。瓦が普及する前は、木板が使われていて風で飛びやすかった為、石が置かれたそうです。
お土産屋さん



山の中の宿場町なので、木工製品のお土産が多かったです。まな板や箸、カゴなど。
江戸時代もこんなもの売ってたのかな?
食事処




入口にススキみたいなのが飾ってあったお店で、お昼ごはんを食べました。
何軒か食事できるところがあって、そばやおやき、五平餅などが食べられます。omochiはおやきが好きなので、長野県に行くと必ずおやきを食べます。
優しそうな女将さんが一人で切り盛りされていました。
野沢菜とくるみの白あんのおやきにしました。皮がフワフワで野沢菜もタップリ入っていて美味しかったです。寒かったので、ホカホカのおやきを食べてほっこりしました。



別のお店で五平餅も食べました。¥500。
くるみを砕いて甘じょっぱく味付けしたタレが絡めてあって、とても美味しかったです。
延命茶と言うお茶が無料でいただけました。
しばらく歩いていくと、本陣がありました。



本陣だけに広くて立派です。中を見学できるみたいですが、この日は休館でした。残念
本陣はその宿場で一番立派で、位の高い人が泊まる宿らしいです。やっぱり階級社会だしね。
水車と高札


水車と高札です。
道の脇に小川が流れていて、天然の湧水なのかすごく綺麗でした。飲めそうだった、のまないけど、、、
高札とは、昔の法令・禁止事項を書いて、民衆に知らせる札だそうです。読んでみると日付が正徳元年になっていて、なんと西暦1711年に書かれたものみたいです。
古すぎてびっくりでした。
枡形


枡形の後です。
宿場町の街道をわざと直角に曲げ、敵の侵入を妨ぐ役割があったそうで、江戸時代に作られた宿場町には必ずあったそうです。時代劇でよく見る様な暗殺者などから、貴人を守る為に作られていたんだろなと思いました。
妻籠宿の枡形は半分が整備されてしまったそうですが、直角に曲がった街道が残されています。



1月だからからか、豊作祈願の餅花を飾られている家が多かったです。華やかで新年らしいですね。
omochiが妻籠宿に着いた時は観光客もまばらで、空いていたのですが、ツアーのバスが来て一気に混んできました。やっぱり人気の観光地なんですね。どの風景を写真にとっても絵になる宿場町でした。江戸時代の町並みを歩いていると、懐かしいような不思議な気分になりました。
又、別の宿場町も歩いてみたいです。
では、この辺で。読んでいただいてありがとう。